#8_副部長のひとりごと_名古屋旅行記③

副部長のひとりごと

時間を忘れすぎてしまった。12時半頃だったと思う。私が「着ている下着も服もコットンなので汗が乾かない。エアリズム製品を買いに、さっき歩道橋から見えた熱田イオンに行きたい」と言い出した。蓬莱軒への来店時間が13時であることはすっかり頭から抜けていた。私たちは蓬莱軒から真逆の方向のイオンへと歩きだした。午前よりももっと強くなった日差しのもと、午後に一度渡った歩道橋を再び渡り、15分くらいかけてイオンに着いた。イオンのユニクロでエアリズム製品を買ってトイレで着替え、やっと時計をみると13時10分だった。

「やばい、時間がない!」と焦る私。たしか、ランチのラストオーダーが14時だった。どうやら部長はずっと時間が気になっていたらしいが、今回の旅のガイド役である私があまりにも堂々と時間を踏み倒していくので、そういう感じでいけるものなのかと思っていたらしい。うう、なんと申し訳ない!

強まるばかりの日差しの中、競歩で蓬莱軒へ向かった。三度目の歩道橋にはもはや何も感じなかった。ひつまぶしまでにお腹を空かせたいとは思っていたけれど、こんなにも切迫して運動するとは思っていなかった。「もし食べられなかったら、また別の名古屋グルメ探そうよ」と言ってくれる優しい部長。「そうだね、またコメダでもいいよね」と返す私。またコメダに行くのはちょっと旅として雑すぎるだろうとツッコミが入るところだ。部長は優しいので「そうだね、それもいいね」と言ってくれる。いや、今回はぜひ蓬莱軒のひつまぶしを食べてほしい。あんなに美味しいものそうそうないんだから。

普通に歩くと30分くらいかかる道のりを、ちゃんと30分かけて歩き、なんとか蓬莱軒にたどり着いた。競歩できていると思っていたけど、猛暑のためか自分たちで思っていたよりスピードが出ていなかったらしい。そんなむなしいことあるかねと思ったが、間に合ったのですべて水に流せる。いや汗で流れた。そしてエアリズム製品によってそれはすぐに乾いた。多分。さよならむなしさ。私たちはひつまぶしを食べる!

ひつまぶしはやはり、とても美味しかった。部長は「人生で食べた鰻料理のなかで一番美味しい」と言っていた。間に合ってよかった。香ばしくて、ふわふわしていて、細かく切ってあるので味とご飯がよく絡んで、確かにとても美味しかった。

蓬莱軒では部長がお世話になっている先生にお土産を買ったので、荷物を置くために一旦宿泊先のホテルへと向かうことにした。神宮前から金山を経由して名古屋駅に戻りコインロッカーの荷物を回収した。名古屋駅から地下鉄でホテルのある久屋大通駅へと向かった。

私は普段、外食があまり好きではない。お洒落して素敵な空間でファンシーな食事をするよりも、家でNetflixの「クイア・アイ」を見ながら白ご飯とキムチを食べているほうが幸福度が高い。外食時は基本的に緊張状態なのでコミュニケーションが上手くいかなくて落ち込んだりもする。でもたまに、この日の蓬莱軒みたいに、心のアルバムに残るような、またアルバムに閉じ込めていた写真を額縁に入れてくれるような外食もある。

この蓬莱軒には、過去に一度母親と一緒に来たことがあった。名古屋には母親との思い出がたくさんある。私が名古屋に住んでいたころの思い出だけではなく、故郷の滋賀県に住んでいた子供のころに遡っても、それはたくさんある。

母はよく家出をする人だったのだが、その家出先のひとつがこの名古屋だった。子供たちのなかで唯一の娘だった私は、たまに一人だけ母の家出についていける特権を得て、兄や弟の嫉妬を買った。栄や大須あたりの古着屋さんでヴィンテージの服や雑貨を買ってもらった。母はお洒落な人だった。

私は母に愛着があったけれど、母はもっと大きな愛を必要としていることが私には分かっていた。なので、母との思い出にはいつも少しだけ寂しさがあった。蓬莱軒での思い出もそうだった。「美味しいね」と言いながらニコニコする母を覚えているのに、それを見ている私は寂しさを感じていた。その寂しさこそが思い出なのかもしれないと思っていた。でもこの日、部長と一緒にあらためて同じ場所を訪れてみて、母のことを思い出す自分が今までのように寂しい子どもではなくなっていることに気が付いた。

それは私が年齢を重ねて、母が私にとっての母である以前に一人の人間であったことを理解したからなのかもしれない。無条件の愛情とか、養育者としての技術とか、「こうあってほしい」という理想の母の姿を求めた心の枯渇が終わったのかもしれない。日が差したテーブルと、美味しいひつまぶしと、部長と、私。また新しい思い出が生まれた。母との思い出は今までよりももっと暖かな色味になって額縁に入った。

私は一度、アルバムに閉じ込めた写真をひとつずつ取り出して、額縁に入れて壁に飾るといいのかもしれない。そうすれば、新しい出会いや新しい感動に対してよりオープンになれるのかもしれない。オープンなることは、ずっと私の最後の選択肢だった。でもこの日はそう思った。きっとひつまぶしが美味しかったからだ。「A life changing ひつまぶし」だったのだ。

~名古屋旅行記④へ続く~

【筆者について】
副部長(ふくぶちょう)
関西出身・関東在住・会社員
最近のできごと 快眠がつづいている

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